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最高裁判所第一小法廷 昭和59年(あ)1256号 判決 1985年9月12日

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人酒井武義の上告趣意について

所論にかんがみ職権をもつて調査すると、原判決は、以下の理由により、破棄を免れない。

一原判決は、第一審判決が被告人の本件行為を過剰防衛行為に当たるとしたのは事実誤認であるとして、これを破棄し、自ら次の事実を認定判示した。

被告人は、スナックを営んでいる妻ハナ子(以下、ハナ子という。)が自己に冷淡になり、外泊を重ねたりしていることからハナ子が甲本乙男(当時四三歳、以下、甲本という。)と情交関係を持つているのではないかと強く疑つていたところ、昭和五八年二月二八日午前零時ころ大阪市平野区平野西四丁目三番一六号NKプラザ一階所在の自己の経営するスナック「鈴蘭」(以下、鈴蘭という。)に、甲本が女性一名を伴つて客として訪れ、酒を注文して飲み始めた。同店は、同月三日に開店したばかりであつたが、被告人は、そのことを甲本に知らせていないのに甲本が来たので、同店の開店を知つた理由を尋ねたところ、甲本がハナ子から聞いて知つた旨答えたので、もともと甲本と顔を合わせたくなかつたのにハナ子が開店を教えたことに強い不満を抱き、かつ、ハナ子と甲本との関係について疑いを一層深め、強い不快の念を抱きながらもそのまま時を過ごすうち、甲本が同店内から、ハナ子の経営しているスナックに電話をかけ、ハナ子に対し、鈴蘭に来るよう繰り返し誘いかけているのを聞き、そのなれなれしい会話の調子からいよいよ右の疑いを深め一層不快の念を募らせていた。同月二八日午前二時ころ、ハナ子が鈴蘭店内に入つて来たのを認めるや、被告人は、来るはずがないと思つていたハナ子が甲本の誘いに応じてやつて来たことに激怒し、ハナ子に対しその場にあつたウイスキーの空びんを持つて振り上げ、「お前はなんで来たんや」と怒鳴りつけた。すると、甲本は被告人から右空びんを取りあげたうえ、被告人に掴みかかつて、カウンターの奥に押しやり、左手でそのネクタイのあたりを掴み、右手拳で頭部、顔面を繰り返し殴打し、首を締めつけるなどのかなり激しい暴行を加えた(以下、これを第一暴行という。)。被告人はその間全く無抵抗でされるがままになつていたが、ハナ子が甲本に対し、「あんた、やめて」と呼んで制止しているのを聞き、ハナ子のこの言葉遣いから、ハナ子と甲本とは情交関係を持つていると確信するに至り、右両名に対し言い知れない腹立ちを覚えたものの、まもなく右暴行をやめてカウンター内から出て元の席に戻つた甲本からウイスキーの水割りを注文されたので、三人分のウイスキーの水割りをつくつて差し出し、「なんで殴られなあかんのかなあ」などと思わず小声でつぶやいた。すると、またもや、甲本は「お前まだぶつぶつ言つているのか」と言うなり、手許の右ウイスキー水割りの入つたガラスコップのほか灰皿、小鉢などを次々にカウンター内にいる被告人に投げつけ始めた(以下、これを第二暴行という。)。ここに至り、被告人は、同日午前二時二五分ころ、「なぜこんなにまでされねばならないのか。女房を取りやがつて」と、それまで抱いていた甲本に対する憤まんや不快感を一気に募らせ、甲本に対する憎悪と怒りから、調理場にあつた文化包丁一丁を持ち出し、ことと次第によつては甲本の殺害という結果に至ることがあるかもしれないがそれもまたやむをえないと決意を固め、甲本に向かつて「表に出てこい」と申し向け、カウンターを出て通路(原判決に「道路」とあるのは誤記と認める。)を出入口の方へ行こうとしたところ、甲本からなおも客席にあつた金属製の譜面台(高さ約一・二メートル)を投げつけられ、更には「お前、逃げる気か。文句があるなら面と向かつて話しせえ」などと怒鳴りながら後を追つてこられ、背後から肩を掴まれるなどしたため(以下、これを第三暴行という。)、甲本から更にいかなる仕打ちを受けるかもしれない、かくなるうえは機先を制して攻撃しようという気持から振り向きざまに、右手に持つた文化包丁で甲本の右胸部を一突きし、よつて、そのころ、同所において、甲本を大動脈起始部切破による心嚢血液タンポナーデにより死亡させたものである。

二原判決は、被告人の本件行為が正当防衛にも過剰防衛にも当たらないと判断した理由として、甲本による第一ないし第三暴行は、同一場所で時間的にも接着して行われたものであり、凶器を使用したものではないとしても、単に被告人の身体に対する攻撃たるにとどまらず、生命に対する危険をもはらむ攻撃とみうるものであり、しかも被告人の本件行為の時点においても、ことと次第によつてはなお甲本による同種の攻撃が繰り広げられる気配が残存していたというべきではあるが、被告人は、右のとおり、甲本に対する憎悪や怒りから、かつまた、機先を制して攻撃しようとする気持から、本件行為に及んだものであつて、自己の生命、身体を防衛せんとする意思に出たものではないといわなければならない旨判示している。すなわち、原判決は、被告人の本件行為は、甲本による自己の生命、身体に対する急迫不正の侵害に対してなされたものではあるが、防衛の意思を欠くため、過剰防衛の成否を論ずる余地もないとしたものと理解される。

三しかしながら、刑法三六条の防衛のための行為というためには、防衛の意思をもつてなされることが必要であるが、急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛するためにした行為と認められる限り、たとえ、同時に侵害者に対し憎悪や怒りの念を抱き攻撃的な意思に出たものであつても、その行為は防衛のための行為に当たると解するのが相当であるところ(最高裁昭和四五年(あ)第二五六三号同四六年一一月一六日第三小法廷判決・刑集二五巻八号九九六頁、同昭和四九年(あ)第二七八六号同五〇年一一月二八日第三小法廷判決・刑集二九巻一〇号九八三頁参照)、原判決が認定した前記事実自体から、被告人の本件行為が、甲本から第三暴行に引続き更に暴行を加えられることを防ぐためのものでもあつたことは明らかであると思われるし、原判決が指摘する被告人の甲本に対する憎悪、怒り、攻撃の意思は、それだけで直ちに本件行為を防衛のための行為とみる妨げになるものではないことは、右に述べたとおりである。

もつとも、原判決は、「弁護人の控訴趣意中、責任能力ならびに殺意の有無に関する主張について」と題する項において、被告人が本件行為に先立つて「表に出てこい」などと言つて挑発した旨認定判示しており(ただし、自判にあたつて示した「罪となるべき事実」中にも、正当防衛、過剰防衛の成否についての説示部分にも、この挑発という表現は用いられていない。)、被告人の右言葉をかなり重視しているようにうかがわれ、更に、被告人が「機先を制して攻撃しようという気持」から本件行為に出た旨判示していることに照らすと、原判決は、被告人の右言葉から、被告人は包丁を手にして甲本を店外に呼び出して攻撃するつもりで自分から先に店外に出ようとしていたところ、たまたま、店外に出る前に甲本から追いつかれたため、本件行為に及んだものである旨推認し、本件行為は専ら攻撃の意思に出たものとみているように理解されないでもない。しかしながら、挑発という点についてみると、原判決の認定するところによつても、甲本は「お前、逃げる気か。文句があるなら面と向かつて話しせえ」などと怒鳴りながら、被告人を追いかけたというのであるから、そもそも甲本に被告人が発した「表に出てこい」などという言葉が聞こえているのか否かさえ定かではないというべきであるし(記録によると、当時甲本の隣にいた甲本の連れの女性は被告人のそのような言葉は何も聞いていないと供述している。)、少なくとも当時甲本は被告人が逃げ始めたと思つて追跡したとみられるのであつて、被告人の右言葉が甲本による第三暴行を招いたものとは認めがたい。また、いずれも記録からうかがわれる甲本により全く一方的になされた第一ないし第三暴行の状況、包丁を手にした後も直ちに甲本に背を向けて出入口に向かつたという被告人の本件行為直前の行動、包丁で甲本の右胸部を一突きしたのみで更に攻撃を加えることなく直ちに店外に飛び出したという被告人の本件行為及びそち直後の行動等に照らすと、被告人の「表に出てこい」などという言葉は、せいぜい、防衛の意思と併存しうる程度の攻撃の意思を推認せしめるにとどまり、右言葉の故をもつて、本件行為が専ら攻撃の意思に出たものと認めることは相当でないというべきである。

そうすると、被告人の本件行為につき、防衛の意思を欠くとして、正当防衛のみならず過剰防衛の成立をも否定した原判決は、刑法三六条の解釈を誤つたか、又は事実を誤認したものといわなければならない。

四以上のとおり、原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令違反あるいは事実誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。よつて、所論に対し判断を加えるまでもなく、刑訴法四一一条一号、三号により原判決を破棄し、同法四一三条本文に従い、本件を原審である大阪高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官角田禮次郎 裁判官谷口正孝 裁判官和田誠一 裁判官矢口洪一 裁判官髙島益郎)

弁護士酒井武義の上告趣意

上告趣意第一点

原判決には、最高裁判所の判例と相反する判断をしたことの違法がある。

一、(一)昭和四六年一一月一六日最高裁判所第三小法廷判決(刑集第二五巻八号九九六頁)

(二)昭和五〇年一一月二八日最高裁判所第三小法廷判決(刑集第二九巻一〇号九八三頁)

右(一)の判決要旨第二は、刑法三六条の防衛行為は、防衛の意思をもつてなされることが必要であるが、相手の加害行為に対し憤激または逆上して反撃を加えたからといつて、ただちに防衛の意思を欠くものと解すべきではない。

というのであり、

(二)の判決要旨は、しかしながら、急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛するためにした行為と認められる限り、その行為は、同時に侵害者に対する攻撃的な意思に出たものであつても、正当防衛のためにした行為にあたると判断するのが、相当である。すなわち、防衛に名を借りて侵害者に対し積極的に攻撃を加える行為は、防衛の意思を欠く結果、正当防衛のための行為と認めることはできないが、防衛の意思と攻撃の意思とが併存している場合の行為は、防衛の意思を欠くものではないので、これを正当防衛のための行為と評価することができるからである。

というものである。

二、(一)の最高裁判例は、正当防衛ないし過剰防衛の成否を、具体的事案に即し詳細な判断を示したものであつて、その一審判決の「罪となるべき事実」は、次のとおりである。

「被告人は、静岡県富士宮市元城町二〇番一一号所在の安宿富士本旅館こと渡辺喜代子方に宿泊してパチンコで稼いで生活を立てていたものであるが、昭和四四年九月二〇日夕刻、同宿人の後藤周一(当時三一才)から、同旅館を営む右渡辺の家族部屋でテレビを見ていたことを詰られたり、扇風機を持つてくるように言いつけられたりなどしたことで、右後藤と言い争いとなり、以前同人から足蹴にされたことなどもあつて同人に対し畏怖の念を抱いていたために、一旦同旅館を出て行こうと考えたものの、同日午後一〇時一〇分ごろ、一度同人にあやまつてみようという気を起し、同人の姿を見かけて同旅館帳場に入つたところ、立ち上つた同人からいきなり手拳で二回くらい強く殴打され、同人が立ち向つてきたので、後退りして同帳場南隣りの八畳間に入り、同人から押されて背中を同八畳間西側の障子にぶつけた際、かねて同障子の鴨居の上にくり小刀を隠してあつたことを思い出して、とつさに右くり小刀を取り出し、同人の理由のない暴行に憤慨して同人を死に至らしめるかも知れないがやむをえないとして、自己の身体を防衛するためその必要の程度を超え、同くり小刀を右手に持つて、右八畳間において、殴りかかつてきた同人の左胸部を突き刺し、よつて同人に心臓右心室大動脈貫通の刺創を負わせ、同日午後一〇時二五分ごろ、その場で右刺創に基づく心嚢タンポーナーゼのため同人を死亡させて殺害したものである。」というのである。

一審は、右のような過剰防衛による殺人の事実を認定判断し、被告人に対し懲役三年執行猶予五年の刑を言い渡した。

これに対し検察官控訴、その控訴趣意第一点(事実誤認、法令適用の誤り)は、本件と同じく、被害者の侵害行為に過剰防衛の要件である急迫性が認められないばかりでなく、被告人の行為に防衛の意思があつたことも、被告人の行為が防衛のためにやむことをえざるに出たものであることも認められないのに、原判決が被告人の行為を過剰防衛行為であると認定したのは、事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤つたものであり、この違法は情状にも影響するところが大であるから、判決に影響を及ぼすことが明らかである。というもので、控訴趣意第二点は、量刑不当を主張するものである。

この控訴趣意に対し、二審判決は、

『所論に基き原審に現われたるあらゆる証拠を検討し、かつ当審における事実取調の結果をも勘案して考察すると、被告人は昭和四四年九月二〇日午後七時三〇分頃原判示旅館内の一室においてテレビを見ていた際、被害者から「一人でテレビを見ていてなんだ。」と文句をいわれたので、その後同人と同旅館内で出会い、同人から「扇風機を知らないか。」ととがめられた際、ついそのことが口に出てしまい、「鍵までしめておきながら、扇風機をもつてこいということはないじやないか。」とやりかえしたことから、同人に「お前居直る気か、やる気か。」とからまれ、あとを追うようにして、「手前出ていけ、お前なんかぶつ殺してしまう。」などとどなられ、その言動からして旅館内にいることが危険であると感ぜられたばかりでなく、そのとき「俺が気に入らないなら、出ていく。」といつてしまつた手前もあつて、いつそ旅館を出てゆき、もはや旅館には戻つてこない考えとなり、こつそり同旅館をぬけ出し、同日午後八時頃から午後一〇時頃までの間に、近くの居酒屋、ついで焼そば屋において、その頃としては珍らしい程の量である酒約四合程を飲んで、酩酊し、当面の落ち着き先などをあれこれと思い迷つていたが、そのうち族館の主人が中風で寝たきりのままであり、その主人に挨拶もしないで出てきてしまつたことを思い出し、旅館に戻つて世話になつた礼を述べるとともに、その機会に被害者にあやまり、仲直りができれば、元通りに泊めてもらおうという考えを起し、酒の勢いにのつて、同旅館に赴き、玄関から廊下に上つたところ、帳場に被害者がねそべつているのが見えたので、その帳場のすぐ奥につづく広間(八畳の部屋)に入り、同広間と帳場とを仕切る開き戸のあたりに立つと、被害者がいち早くこれに気づいて、「小泉、われはまたきたのか。」などとからみ果ては立ち上りざま手拳で二回程被告人の顔面を殴打したので、被告人は逆上し、同広間に後退したうえ、同広間西側障子鴨居の上にかくしておいたくり小刀を取り出し、向つてくる被害者の左胸部を突き刺してしまつたという経過にあつて、ふだんおとなしい被告人、ことに被害者には昭和四四年八月頃すなわち本件の約一箇月前頃パチンコ店において、黙つてパチンコをやりにきたことを理由に足げりにされたことがあり、またふだん同人の胸や腕に入れ墨があることを見ていて、同人を恐ろしく思い、何事も同人のいうままに行動して、反抗したことのなかつた被告人が、その恐ろしく思つている被害者に立ち向つていることから考えると、被告人は被害者から殴打されたことが余程腹にすえかねたものと思われ、その憤激の情が酒の酔のため一時に高められ、相手がいつもこわがつている被害者であることなどは意に介しないで、つぎの行動に移つたものと考えられるので、被告人が被害者から殴打されて逆上したときに、反撃の意図が形成され、被害者に報復を加える意思が固まつたものと思われ、おそくとも前記広間西側障子鴨居の上からくり小刀を取り出そうとした頃には、防衛の意思などは全くなくなつていたことが認められるばかりでなく、被告人が旅館を出ていつた前記経緯からすると、若し被告人が再び旅館に戻つてくるようなことがあると、必ずや被害者との間にひと悶着があり、場合によつては被害者から手荒な仕打ちをうけることがあるかもしれない位のことは、十分に予測されたことであり、被告人としてもそのことを覚悟したうえで、酒の勢いにのり、旅館に戻つたものと考えられるので、たとえ被害者から立上りざま手拳で殴打されるということがあり、その後被害者が被告人に向つてゆく体勢をとることがあつたとしても、そのことは被告人の全く予期しないことではなかつたのであり、その他証拠によつて認められるその殴打がなされる直前に、扇風機のことなどで、旅館の若主人と被害者との間にはげしい言葉のやりとりがかわされていて、その殴打が全く意表をついてなされたというものではなかつたこと、被告人本人がその気になりさえすれば、前記広間の四周にある障子を押し倒してでも脱出することができる状況にあつたこと、近くの帳場には泊り客が一人おり、また近くに旅館の若主人もいて、救いを求めることもできたことや、被害者のなした前記殴打の態様、回数などの点をも総合、勘案すると、被害者による法益の侵害が切迫しており、急迫性があつたものとは、とうてい認められないのであり、またそのような状況ないし経過のもとにおいて、くり小刀をもち出し、被害者を突き刺した被告人の本件行為が防衛上已むことをえざるに出でた行為であつたとは、とうてい考えられないのである。以上の次第であつて、本件においては、被害者による不正の侵害に急迫性があることも、被告人に防衛の意思があつたことも、また被告人の行為が防衛上已むことをえざるものであつたことも認められないのであるから、原判決が被告人の本件行為について、過剰防衛が成立すると認定し、判断したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認をおかしたものであり、既にこの点において原判決は破棄を免れないといわねばならない。』と判示し、検察官の論旨は理由があるとして一審判決を破棄し、自判した。

二審が認定した「罪となるべき事実」は次のとおりである。

『被告人は、静岡県富士宮市元城町二〇番一一号所在の安宿「富士本旅館」こと渡辺喜代子方に宿泊し、パチンコの稼ぎで生活を立てていたものであるが、昭和四四年九月二〇日の夕刻、同宿人の後藤周一(当年三一年)と些細なことで口論となり、同人から「お前居直る気か、やる気か、手前出てゆけ、手前なんかぶつ殺してしまう。」などとどなられ、その言動からして旅館にいることが危険であると感じ、またそのとき「俺が気にいらないなら、出ていく。」といつてしまつた手前もあつていつそ旅館を出てゆき、もはや旅館には戻つてこない考えとなり、こつそり同旅館をぬけ出し、近くの居酒屋等において、酒約四合を飲み、酩酊して当面の落ち着き先などあれこれと思い迷つていたが、そのうち後藤周一にあやまつてみて、若し仲直りができたら、元通り旅館に泊めてもらおうという考えを起し、酒の勢いにのつて、午後一〇時一〇分頃同旅館に赴き、玄関を上つたところ、同旅館帳場にねそべつていた後藤周一の姿が見えたので、その帳場の南隣りにある広間(八畳の間)に入り、同室と帳場とを仕切る開き戸のあたりに立つと、同人がいち早くこれに気がついて、「小泉われはまたきたのか。」などとからんだ末、同人から立ち上りざま手拳で二回位顔面を殴打されたので、逆上し、同人を死に至らしめるかも知れないがやむをえない考えのもとに、同室の西側障子鴨居の上にかくしてあつたくり小刀一本を取り出し、これを右手にもつて、同人に立ち向い、その左胸部を突き刺し、よつて同人に心臓右心室大動脈貫通の刺創を負わせ、同日午後一〇時二五分頃、右刺創に基く心嚢タンポナーゼのため、その場で死亡するに至らしめたものである。』

二審は右のような殺人の事実を認定判示して、被告人に対し懲役五年の実刑を言い渡した。

これに対して被告人から、第一点(事実誤認、法令違反)、第二点(判例違反)、第三点(量刑不当)を主張して上告。

最高裁判所第三小法廷は、裁判官全員一致の意見で、原判決には判決に影響を及ぼすべき法令違反、および重大な事実誤認のあることの顕著な疑いがあり、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものと認めるとして、刑訴法四一一条一号、三号により原判決を破棄し、右事件を原審である東京高等裁判所に差し戻した。その理由の詳細は次のとおりである。

「すなわち、原判決は、本件における後藤の行為が被告人の身体に対する不正の侵害であることは、これを認めつつも、(一)後藤の侵害行為は急迫性がなかつた、(二)被告人に防衛の意思がなかつた、(三)防衛上やむをえない行為でなかつた、と認定し、これを理由に本件における過剰防衛の成立を否認しているので、以下検討を加える。」として、要旨第一は、「急迫性がなかつたとの点」について、要旨第二は、「防衛の意思がなかつたとの点」および「防衛上やむをえない行為ではなかつたとの点」である。防衛の意思の有無についての判旨は次のとおりである。

(二)防衛上の意思がなかつたとの点について。

刑法三六条の防衛行為は、防衛の意思をもつてなされることが必要であるが、相手の加害行為に対し憤激または逆上して反撃を加えたからといつて、ただちに防衛の意思を欠くものと解すべきではない。これを本件についてみると、前記説示のとおり、被告人は旅館に戻つてくるや後藤から一方的に手拳で顔面を殴打され、加療一〇日間を要する傷害を負わされたうえ、更に本件広間西側に追いつめられて殴打されようとしたのに対し、くり小刀をもつて同人の左胸部を突き刺したものである。そうであるとすれば、かねてから被告人が後藤に対し憎悪の念をもち攻撃を受けたのに乗じ積極的な加害行為に出たなどの特別の事情が認められないかぎり、被告人の反撃行為は防衛の意思をもつてなされたものと認めるのが相当である。

しかるに、原判決は、本件においてこのような特別な事情のあつたことは別段判示することなく、前記のように、「ふだんおとなしい被告人、ことに被害者には昭和四四年八月頃すなわち本件の約一箇月前頃パチンコ店において、黙つてパチンコをやりにきたことを理由に足げりにされたことがあり、またふだん同人の胸や腕に入れ墨があることを見ていて、同人を恐ろしく思い、何事も同人のいうままに行動して、反抗したことのなかつた被告人が、その恐ろしく思つている被害者に立ち向つていることから考えると、被告人は被害者から殴打されたことが余程腹にすえかねたものと思われ、その憤激の情が酒の酔いのため一時に高められ、相手がいつもこわがつている被害者であることなどは意に介しないで、つぎの行動に移つたものと考えられるので、被告人が被害者から殴打されて逆上したときに、反撃の意図が形成され、被害者に報復を加える意図が固まつたものと思われ、おそくとも前記広間西側障子鴨居の上からくり小刀を取り出そうとした頃には、防衛の意思などは全くなくなつていたことが認められる」として、あたかも最初は被告人に防衛の意思があつたが、逆上の結果それが次第に報復の意思にとつてかわり、最終的には防衛の意思が全く消滅していたかのような判示をしているのである。

しかし、前に説示したとおり、被告人が後藤から殴打され逆上して反撃に転じてからといつて、ただちに防衛の意思を欠くものとはいえないのみならず、本件は、被告人が後藤から殴られ、追われ、隣室の広間に入り、西側障子のところで同人を突き刺すまで、一分にもみたないほどの突発的なことがらであつたことが記録上うかがわれるから、原判決の判示するような経過で被告人の防衛の意思が消滅したと認定することは、いちじるしく合理性を欠き、重大な事実誤認のあることの顕著な疑いがあるものといわなければならない。

と判示しているのである。

これに対し、本件の原判決は、弁護人の正当防衛の主張を一蹴し、検察官の控訴趣意について次のように判示したのである。

『検察官の控訴趣意中、事実誤認の主張について。

論旨は、要するに、被告人の本件所為は正当防衛の要件を欠き過剰防衛の成否を論ずる余地もない。しかるに原判決はこれを過剰防衛にあたるとしたが、これは判決に影響を及ぼすことが明らかな重大な事実の誤認であるから破棄を免れない。というのである。そこで、所論にかんがみ、記録を精査しかつ当審における事実取調の結果をもあわせて検討するに、原判決挙示の各証拠によれば次の事実が認められる。

すなわち、被告人においては、①原判示のような経過から自己の意に従わないで原判示「鈴蘭」の店内に入つてきた妻ハナ子に対し「なんで来たんや」と怒鳴りつけ、ウイスキーの空びんを振り上げたりしたが、これを目撃した甲本からカウンターの奥に押しやられ、さらには頭部や顔面を手拳で連打され、首を絞めつけられるなどの暴行を加えられたこと、②その後加害をやめた同人から注文されてウイスキーの水割を差し出したりしたが、同人から前記のように暴行を加えられ心中の憤懣に耐え兼ねて「なんで殴られなあかんのかなあ」とつぶやいたところ、これを聞きつけた同人からさらにガラスコップ、灰皿、小鉢などを投げつけられたこと、③そこで両手を挙げてこれを防ぎながら「なぜこんなにまでされねばならないのか。女房を取りやがつて」と、それまで抱いていた同人に対する憤懣や不快感をつのらせ、憎悪と怒りから、原判示文化包丁を持ち出し、ことと次第によつては同人の殺害という結果を生じてもやむをえないと決意をかため、とつさに「表に出てこい」と申し向けてカウンター内から出て表道路の方へ向つたものの、同人からなおも金属製の譜面台を投げつけられ、さらには「逃げる気か。文句があるなら面と向つて話しせえ」などと怒鳴りながら表出口へ出る通路上で背後から肩をつかまれるなどしたこと、④そこで、被告人は機先を制して攻撃すべく、ふり向きざまに、右包丁で同人の胸部を一突きし、これにより同人を殺害するに至つたものであること、以上の事実が認められる。

ところで、所論は、右④の時点では甲本の①、②、③(とくに①、②)の攻撃がすでに終了ないし消滅していたという理由をもつて過剰防衛の成立を否定しようとするのであるが、甲本による①、②、③の攻撃は、同一場所で、時間的にも接着して行われ、しかも一旦右①が止んだ後に②が行われ、その後さらに③のように金属製の譜面台を投げつけるなどの攻撃がみられたのであり、このような攻撃の経緯等に照らすときは、甲本による右①、②、③の攻撃が兇器を使用したものではないとしても、単に被告人の身体に対する攻撃たるにとどまらず、生命に対する危険をも孕む攻撃とみうるものであり、(このことは現場に居あわせた丙内キクヨの「甲本は被告人を殴り殺すのではないかと思つた位です」とする供述などによつても裏付けられるところである。)、しかも右④の時点においても、ことと次第によつてはなお甲本による同種の攻撃がくりひろげられる気配が残存していたというべきであるから、所論のように右④の時点では甲本の攻撃がすでに終了ないしは消滅していたとはいいきれない状況にあつたと認めるのが相当であり、この点を論拠に原判示過剰防衛の成立を否定する所論は失当というほかない。

次に、所論は、被告人の本件所為は防衛意思に基づくものではないから過剰防衛の成立する余地はないというので検討するに、右認定事実によると、被告人の本件所為は、前示のとおり、甲本から右①、②のような攻撃を受けるに及んで、それまで抱いていた同人に対する憤懣や不快の念を一気に爆発させ、憎悪と怒りから、とつさに原判示文化包丁を持ち出し、ことと次第によつては同人の殺害というような結果に至つてもやむをえないと決意し、「表に出てこい」と申し向けたところ、同人がなおも右③のように挑戦してきたので、かくなるうえは機先を制して攻撃しようという気持から右④のように手にした文化包丁で同人の胸部を一突きするに及んだものと認められるところであるから、被告人においては甲本に対する憎悪や怒りから、かつまた機先を制して攻撃しようという気持から本件所為に及んだものであつて、自己の生命・身体を防衛せんとする意思に出でたものではないといわなければならない(答弁書記載の判例は本件と事案を異にし適切でない)。そうしてみると、被告人の本件所為については過剰防衛の成否を論じる余地もない。したがつて、これを自己の身体を防衛する意思のもとになされたとし、過剰防衛にあたると認定した原判決はその点に関する事実を誤認したものであり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかであるといわなければならない。論旨は結局理由がある。』

と判示して、第一審判決を破棄し、前記のとおり自判して、被告人に対し懲役五年の実刑を科したのである。

してみれば、原判決の右判断が前記最高裁判所の判例と牴触し、それと相反する判断をしたことは明らかである。

すなわち、原判決が本件被告人について防衛の意思を否定した理由は、つまるところ、″被告人においては甲本に対する憎悪や怒りから、かつまた機先を制して攻撃しようという気持から本件所為に及んだもの″ということに帰するからである。

しかるところ、右最高裁判所の判例は、前記のとおり、「刑法三六条の防衛行為は、防衛の意思をもつてなされることが必要であるが、相手の加害行為に対し憤激または逆上して反撃を加えたからといつて、ただちに防衛の意思を欠くものと解すべきではない。」と判示したうえで、そうであるとすれば、攻撃を受けたのに乗じ積極的な加害行為に出たなどの「特別な事情」が認められないかぎり、その反撃行為は防衛の意思をもつてなされたものと認めるのが相当である、と説示しているのに、原判決は、本件において、そのような「特別な事情」のあることは考慮せずに、「甲本に対する憎悪や怒りから、かつまた機先を制して攻撃しようという気持」から本件所為に及んだとして、直ちに、防衛の意思を否認しているからである。

ところで刑法三六条の防衛行為につき防衛の意思が必要であるかどうかの点については、学説上見解の対立があるが、防衛意思必要説をとる学説も、「意思」という語感からするほどの積極性、明確性を要求しているわけではなく、せいぜい「防衛の意識」ないし「対応の意識」程度で足りるとしている。たとえば、団藤重光・刑法綱要総論一六五頁は、「たまたま客観的に防衛の結果になつたというだけでは、防衛のための行為とはいえないから、その意味で、やはり、防衛の意思が必要だと解するほかないであろう。ただ、憤激して反撃を加えたような場合を、一概に防衛の意思を欠くものとみるのは妥当ではない。防衛の意思は、ほとんど反射的に生じることもありうるのである。防衛を口実にして他の目的のために行う行為は、もはや防衛のための行為とはいえない。したがつて、はじめから反撃を加える意図で故意に侵害行為を誘発したような場合には、正当防衛を認めることはできない。」とし、藤木英雄・注釈刑法(2)の1二三七頁は、「防衛の意思とは、自己が急迫不正の侵害にさらされていることを認識し、かつ、その侵害を排除するために加害者に立ちむかう旨を意識していれば足り、防衛手段として許される範囲内の行為をする意思であつた等のことは要求されない。なお、突然の攻撃に興奮、狼狽して反撃に出た場合であつても直ちに防衛の意思を欠くというわけではない。」とし、荘子邦雄「正当防衛」(総合判例研究叢書刑法(1)一七八頁は、防衛の要否を廻つて、急迫不正の侵害に対し、「興奮の余り」行為に出た場合につき『苟も、「防衛意思」必要説に立つ限り、昂奮の状況下における行動においても尚、「防衛意思」必要なりとなすものでなければ、「防衛意思」必要説を維持し難いものというべきである。防衛意思不要論者は問うであろう。そもそも著しい興奮のさなかに明確に防衛の意思を有していたと言い得るであろうかと。かくて、不要論者は、このような場合を予想し、「とくに積極的な防衛意思がなくても」(団藤刑法八一・八二)構わぬと述べたのであると、自説の主張根拠を示すであろう。これに対し、明確な判断を示していない諸判例は、如何に解答を用意しているのであろうか。確かに、この点は、防衛意思必要説の弱点であると言い得よう。だが、然し、解決がないわけではない。不要説の主張する如く、「興奮の余り」反撃に出た際において、明瞭な防衛意思が働いていたと考えることは困難であるかもしれない。然しながら、急迫な不正侵害に対応して行動がとられた限り、如何に、「興奮の余り」行動したとしても、その行動のうちには、急迫な不正侵害に対応する意識が潜んでいるものと見ることは可能であろう。この「対応の意識」は、とりも直さず、「防衛意思」と称し得るであろう。もし、このことが許容されるのでなければ、元来、急迫不正な侵害に対応して、「咄嗟の間に」反撃を加えることをその本来的性格となす正当防衛は、成立し得る余地を甚だしく局限され、正当防衛を認めた本来の趣旨を損うこととなるであろう。しかも、防衛意思不要論者と雖も、「特に積極的な」防衛意思なくとも正当防衛は成立可能なりと主張することによつて、「潜在的な」防衛意思を予想している点に思いを致せば、急迫不正の侵害に「対応する意識」を「防衛意思」と称することは許されてよいであろう。』とし、小暮得雄「正当防衛」(刑法講座第二巻一四二頁)は、「ちなみに、防衛の意思を肯認するためには、かならずしもそれが唯一の行為動機であることを要しない。正当防衛が、本来、緊急の事態における咄嗟の反撃を旨とすることからみて、そこには、むしろ、同時に、憤激・意地のその他の動機ないし意識内容をともなうばあいが多いであろう。しかし、防衛の意思は単にその存在をもつて足り、他の動機、意識との併存を妨げないのである。」としている。

右の諸学説の見解は、多少ニュアンスの相違があるが、防衛意思を必要と解するのは、たまたま客観的に防衛の結果になつただけの場合とか、侵害を受けたのを好機として積極的な加害行為に及んだような場合まで防衛行為として扱うのは不相当であるとの考慮からで、したがつて、侵害を受けたため、興奮、憤激、逆上その他の意識内容をともなつて反撃に出たとしても、防衛意思を欠くものと解すべきでない、という点でほぼ一致しているものということができるのである。

原判決は、「被告人においては甲本に対する憎悪や怒りから、かつまた機先を制して攻撃しようという気持から本件所為に及んだものであつて、自己の生命・身体を防衛せんとする意思に出たものではないといわなければならない」と判示しているが、仮に、被告人の心情中に、甲本に対する憎悪や怒りから憤激の情が入り混じつていたとしても、甲本の加害行為に対し、憤激の情に駆られて反撃を加えたからといつて直ちに防衛の意思を欠くものと解すべきではない。原判決の判示事情(原判決の事実認定には明白かつ重大な誤りのあることは後に述べるとおりである。)のもとにおいても、被告人の主たる意思は甲本の急迫不正の攻撃から自己の生命・身体を防衛することにあつたと解すべきであつて、未だ防衛に名を藉りて甲本に対し報復を加えるべく積極的な功撃意思の下に加害行為に及んだという「特別な事情」は全くこれを認めることはできないのである。

原判決は、被告人の殺害行為は、防衛のためでなく、かねてからの憤懣や不快感が爆発して積極的な殺人行為に及んだと認定しているが、しかしそのような事情が認められないことは、第一審判決もこれを肯定している。すなわち、「被告人が、右甲本を真実文化包丁で殺害する意図を有していたのであれば、右文化包丁を持つや直ちに同人の居る方へ立ち向つて攻撃を加えるなどの所為に出て然るべきであるのに、むしろ、「表に出て来い」と怒鳴っておきながら同人に背を向ける態勢で通路へ入つて出口の方へ向つており、その際、被告人には、殺害の場所を店内では支障が生じると考えて店外を選択する程の心理的余裕があつたものとは前後の事情から考えられず、また、右甲本を一回突いた後直ちに店外へとび出しており、同人に再度の攻撃を加えていないし、攻撃を加えようとした形跡が全く認められないところから考えると、被告人の右文化包丁を持つて「表へ出て来い」と怒鳴つて通路へ入り出入口へ向つた所為は、決して右甲本を殺害する目的に出たものではなく、むしろ、同人から攻撃が続けられているので、これを制止し、かつこれから逃れるためのものと認めるのが相当である。」と判示しているが、もつともな判断というべきであつて、もし原判決が判示しているように、「被告人の本件行為は、甲本から右①、②のような攻撃を受けるに及んで、それまで抱いていた同人に対する憤懣や不快の念を一気に爆発させ」たのであれば、そしてまた、「機先を制して攻撃しようという気持」があつたとするなら、被告人が調理場で文化包丁を手にするや、きびすを返して、直ちに甲本に対し正面から立ち向つて行き、所携の文化包丁をもつて攻撃を加えていた筈であるのに、むしろ逆に、被告人は甲本に背を向けて出入口の方へ向つて逃げ出しており、また、「憎悪と怒りから、ことと次第によつては同人の殺害という結果に至つてもやむを得ないと決意」したのであれば、甲本を一回突いた後直ちに店外へとび出し、同人に再度の攻撃を加えず、攻撃を加えようとした形跡すら全く認められないという事実を合理的に説明することは不可能であろう。

原判決判示の如く、被告人が甲本の急迫不正の侵害に対し、同人に対する憤懣や不快の念や怒りの情に駆られて反撃を加えたとしても、それらの感情的・情緒的要素は副次的かつ付随的であり、その主たる意思は防衛の意思であつたと認むべきである。したがつて自己の生命・身体に対する急迫不正の侵害に迫られていた被告人の心情中に、甲本に対する憎悪や怒りの気持ち、あるいは憤激の情が入り混じつていたからといつて、被告人の防衛の意思まで否定することはできないし、また、被告人は甲本に殴り殺されんばかりの目に合わされた直後さらに手あたり次第に器物を投げつけられたことにより恐怖、驚愕、興奮又は狼狽の混乱した心理状態のもとで咄嗟の反撃行為に出たものと考えられるが、しかし被告人が甲本の急迫不正の侵害に対応して行動した限り、被告人がいかに興奮と狼狽の余り行動したとしても、その被告人の行動のうちには甲本の急迫不正の侵害に対応する意識、すなわち、自己の生命・身体を防衛しようとする意識は存在していたものとみなければならない。

したがつて、「甲本に対する憎悪や怒りから、かつまた機先を制して攻撃しようという気持から、本件行為に及んだ」として、防衛意思の存在を否認し、被告人の本件所為につき正当防衛の成立を認めなかつた原判決の右判断は、前記最高裁判所の判例に相反する判断をなしたものであり、右判断は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、原判決は当然破棄されるべきである。

右昭和四六年一一月一六日の最高裁判決が、憤激・逆上といつた、いわば情緒的要素と防衛行為との関係を問題としたのに対し、この立場をさらに発展させ、攻撃の意思と防衛行為との関連について一そう明確に説いたのが、(二)の最高裁判所昭和五〇年一一月二八日第三小法廷判決である。

事案は過剰防衛の成否が争点となつた殺人未遂被告事件である。一審は、過剰防衛を認めて被告人を懲役三年、四年間の執行猶予の刑に処したが、二審は、検察官の控訴を容れ、過剰防衛を認めたのは事実誤認であるとして一審判決を破棄し、被告人を懲役二年の実刑に処した。これに対し、被告人から上告。上告趣意は、原判決には、被告人の行為を防衛行為にあたらないとした点で事実誤認、法令違反があり、誤想防衛の成否を吟味しなかつた点でも法令違反がある、と主張した。

まず最高裁判決が要約して判示しているところによつて二審判決の認定した犯罪事実をみると、次のとおりである。

『被告人は、昭和四八年七月九日午後七時四五分ごろ、友人の鈴木芳郎とともに、愛知県西尾市津町五割一の五付近を乗用車で走行中、たまたま同所で花火に興じていた遠山保命(当時三四年)、金沢博司、佐藤宏之らのうちの一名を友人と人違いして声を掛けたことから、右遠山ら三名に、「人違いしてすみませんですむと思うか。」「海に放り込んでやろうか。」などと因縁をつけられ、そのあげく酒肴を強要されて同県幡豆郡吉良町の飲食店「仁吉」で遠山らに酒肴を馳走した後、同日午後一〇時過ごろ、右鈴木の運転する乗用車で遠山らを西尾市寺津町観音東一八番地宮地虎雄方付近まで送り届けた。ところが、下車すると、遠山らは、一せいに右鈴木に飛びかかり、無抵抗の同人に対し、顔面、腹部等を殴る、蹴るの暴行を執拗に加えたため、被告人は、このまま放置しておけば、右鈴木の生命が危いと思い、同人を助け出そうとして、同所から約一三〇メートル離れた同市巨海町佐円一〇番地の自宅に駆け戻り実弟筒井賢二所有の散弾銃に実包四発を装てんし、安全装置をはずしたうえ、予備実包一発をワイシャツの胸ポケットに入れ、銃を抱えて再び前記宮地方付近に駆け戻つた。しかしながら、鈴木も遠山らも見当たらなかつたため、鈴木は既にどこかにら致されたものと考え、同所付近を探索中、同所から約三〇メートル離れた同市寺津町観音東一番付近路上において、遠山の妻実子を認めたので、鈴木の所在を聞き出そうとして同女の腕を引つ張つたところ、同女が叫び声をあげ、これを聞きつけて駆けつけた遠山が「このやろう、殺してやる」などといつて被告人を追いかけた。そこで被告人は、「近寄るな」などと叫びながら西方へ約一一・二メートル逃げたが、同所二番地付近路上で、遠山に追いつかれそうに感じ、遠山が死亡するかもしれないことを認識しながら、あえて、右散弾銃を腰付近に構え、振り向きざま、約五・二メートルに接近した遠山に向けて一発発砲し、散弾を同人の左股部付近に命中させたが、加療約四か月を要する腹部銃創及び左股部盲管銃創の傷害を負わせたにとどまり、同人を殺害するに至らなかつたものである。』と。

これに対し、一審判決は、「たしかに遠山の追跡行為は急迫不正の侵害に該り、かつ被告人は自己の権利を防衛する意思を有していたものと認められるが――遠山は素手で被告人を追跡していたことが認められるのであるから、たとえそれまでのいきさつを考慮したとしても、なお被告人の所為は防衛の程度を超えたとの誹を免れない」と判示して、過剰防衛の成立を認めたが、二審判決は、被告人の本件所為は、急迫不正の侵害に対する自己の権利防衛のためにしたものではなく、対抗的攻撃意図をもつて対抗斗争行為の一環としてなされたものであるから、正当防衛の観念を容れる余地がなく、従つて、過剰防衛も成立しないとして一審判決を破棄した。

最高裁判所は、職権調査をし、全員一致の意見で、防衛の意思の有無の判断に関する法令違反を理由に二審判決を破棄して、事件を原審である名古屋高等裁判所に差し戻した。判示は次のとおりである。

「しかしながら、急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛するためにした行為と認められる限り、その行為は、同時に侵害者に対する攻撃的な意思に出たものであつても、正当防衛のためにした行為にあたると判断するのが相当である。すなわち、防衛に名を借りて侵害者に対し積極的に攻撃を加える行為は、防衛の意思を欠く結果、正当防衛のための行為と認めることはできないが、防衛の意思と攻撃の意思とが併存している場合の行為は、防衛の意思を欠くものではないので、これを正当防衛のための行為と評価することができるからである。

しかるに、原判決は、他人の生命を救うために被告人が銃を持ち出すなどの行為に出たものと認定しながら、侵害者に対する攻撃の意思があつたことを理由として、これを正当防衛のための行為にあたらないと判断し、ひいては被告人の本件行為を正当防衛のためのものにあたらないと評価して、過剰防衛行為にあたるとした第一審判決を破棄したものであつて、刑法三六条の解釈を誤つたものというべきである。」と。

前記の昭和四六年一一月一六日の最高裁判例は、「刑法三六条の防衛行為は、防衛の意思をもつてなされることが必要であるが、相手の加害行為に対し憤激または逆上して反撃を加えたからといつて、ただちに防衛の意思を欠くものと解すべきではない」としたうえ、「かねてから被告人が――憎悪の念をもち攻撃を受けたのに乗じ積極的な加害行為に出たなどの特別な事情が認められないかぎり、被告人の反撃行為は防衛の意思をもつてなされたものと認めるのが相当である。」と判示したが、右判例が、攻撃を受けたのに乗じて積極的な加害行為に出たなどの特殊な事情のない限り、防衛の意思に出たものと認めるべきであるとしているところをみると、専ら攻撃の意図に出たような極端な場合の外は原則として防衛の意思を認める趣旨と解しうる。この解釈によると、防衛の意図がある限りは、攻撃の意図が何らかの程度において併存しているときでも、防衛の意思が認められることになる。

以上のことは、本件最高裁判決によつて一そう明確になつた。すなわち、それは、急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛するためにした行為である限り、同時に攻撃的な意思があつても防衛の意思に出た行為と認めることができると判示し、さらに、防衛の名を借りて侵害者に対し積極的に攻撃を加える行為が防衛のための行為と認められないのは、攻撃の意思を含むからではなく、防衛の意思を欠くからにほかならないと判示しているからである。(香城敏麿・最高裁判所判例解説昭和五十年度二八九頁)

そこでこれを本件についてみると、原判決も、甲本の攻撃は、「単に被告人の身体に対する攻撃たるにとどまらず、生命に対する危険をも孕む攻撃とみうるものであり、このことは現場に居あわせた丙内キクヨの″甲本は被告人を殴り殺すのではないかと思つた位です″とする供述などによつても裏付けられるところである。」と判示している程の急迫性を帯びた侵害であつたというのであるから、甲本の急迫不正の侵害に直面した被告人の心情の中に、咄嗟に或は反射的に、自己の生命・身体を防衛するために、甲本の侵害を排除しようとする意識又は甲本の攻撃に対応しようとする意識が生じたとみるのが自然であり、このような意識が全く生じなかつたと断定するのは被告人の人間性、被告人の人格的価値を無視した著しく不当な見解といわねばならない。この防衛の意識ないし対応の意識は、とりも直さず「防衛の意思」と称し得るのである。

そうすると、被告人が出入口に通ずる通路上において背後から甲本に肩をつかまれた瞬間、身をひるがえして甲本に直面する余裕もなく、また甲本の態勢などを確かめることなく、咄嗟に振り向きざま、甲本の身体に向けてやみくもに文化包丁を突き出して一突きしたのは、仮に被告人に同時に甲本に対する憎悪や怒りから攻撃的な原因があつたとしても、被告人の右所為は甲本の急迫不正の侵害に対応するため、反射的に生じた防衛意思に基づく防衛行為であつたと考えるべきである。

してみると、原判決が、「被告人においては甲本に対する憎悪や怒りから、かつまた機先を制して攻撃しようという気持から本件所為に及んだものであつて、自己の生命・身体を防衛せんとする意思に出たものではない」として、防衛の意思の存在を否認し、被告人の本件所為を正当防衛でないとした原判決の右判断は、前記最高裁判所の判例に牴触し、これと相反する判断をなしたものであり、右判断は判決に影響を及ぼすことが明白であるから、結局、原判決は刑事訴訟法第四〇五条第二号に違反したものであつて、とうてい破棄を免れない。

なお、原判決の右のような態度、すなわち、急迫不正の侵害に直面したとはいえ、その侵害の排除は主たる関心事ではなく、むしろ、これに触発されて、過去・従来の相手に対する憎悪や憤懣から、その恨みを晴らすべく、あるいはかねての憎悪の念から、相手に攻撃を加えたと認められる場合には、防衛の意思を認めず、したがつて正当防衛も過剰防衛も否定するという態度は妥当なものであろうか。これは大いに疑問である。第一に、急迫不正の侵害者に対し、もつともな理由から憤懣・根み・憎悪の念をかねてよりもつていた者が、急迫不正の侵害に直面し、憤懣や恨みを晴らす意思で、相当な程度の、あるいはその程度を超える反撃をした場合に、正当防衛・過剰防衛たりえないとするのは、それまで何の関係もなかつた相手の急迫不正の侵害に対し、相当な程度の、あるいは程度を超える反撃をした場合(この場合には無論正当防衛・過剰防衛を認めうる)と比較し、実質的に酷であり、バランスを失する嫌いがある。第二に、急迫不正の侵害者に対し然るべき理由もないのに憤懣等をかねてよりもつていた者がその侵害者に反撃した場合でも、それが相当な程度を超えていないときにまで、反撃者の意思の内容を問題とし、憤懣等を晴らすためであれば正当防衛を否定することは、犯罪の成立を肯定する方向で、余りにも主観にこだわり、倫理の世界に迷い込んでしまつている嫌いがあろう。第三に、原判決のような態度を貫ぬくと、事実認定を誤る危険が増大するばかりでなく、急迫不正の侵害者に対しかねてより憤懣等を有する者、あるいは、そうみられかねない者は、処罰の危険を恐れて反撃を―相当な程度の反撃さえ―躊躇せざるをえない、ということにもなりうるであろう。

而して原判決の認定判断には明白かつ重大な事実誤認があることは次の上告趣意を述べるなかで明らかにするとおりである。<以下、省略>

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